アドラー心理学でつかんだ「勇気」:今を生きること

スポンサーリンク
カジュアルエッセイ

誰かの目が気になって、言いたいことが言えない?

過去の失敗が頭をよぎって、新しい一歩が踏み出せない。そんなモヤモヤを抱えながら、ふと手に取ったのが「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」。

アドラー心理学をベースにしたこの二冊は、私の心にガツンと響いた。心理学の巨匠アルフレッド・アドラーの教えを、岸見一郎さんと古賀史健さんがとっても分かりやすく紐解いてくれる。

今回は、この本から学んだことや、私のリアルな体験をカジュアルに語ってみた。自由に、幸せに生きるヒント、感じてくれたら嬉しいな。

「嫌われる勇気」:人の目、気にしなくていいのだ

アドラー心理学のキモは、「すべての悩みは対人関係からくる」って考え方。

で、その解決法が「課題の分離」。つまり、人の評価とか期待(=他人の課題)はほっといて、自分がコントロールできること(=自分の課題)にフォーカスする。これが「嫌われる勇気」の本質。

正直、最初は「嫌われるって、とってもネガティブやん?」って思った。わがままになるだけじゃない?って。でも、読み進めると全然違う。アドラーは、「他人の『いいね』なんかいらない。自分を信じて、みんなのために動くことが大事」って教えてくれる。

「幸せになる勇気」:過去はもういいよね

続編の「幸せになる勇気」は、もっと深い話。アドラーは「過去のトラウマなんて、ただの言い訳」ってバッサリ。

過去が原因で今がダメなんじゃなくて、「今、どうしたいか」が大事。これ、目的論ってやつ。私、これで目からウロコだった。

昔、信頼していた人に裏切られたことがあって、新しい人に心を開くの怖かった。「また傷つくかも」ってビクビクしていたんだけど、よく考えたら、それって「傷つきたくない」って現状キープの言い訳だったんだよね。

本読んで、「過去に縛られるの、やめよう」って決めた。

アドラーは、承認欲求もいらないって言う。SNSの「いいね」とか、誰かの褒め言葉に頼らなくていい。自分をまるごと受け入れる。これ、とっても楽になるよ。私はいつでも、誰といても、「ありのままの私」でいいやって思えるようになった。

親子関係:親もただの人間なんだ

アドラー心理学、親子関係にもとっても効く。子供の無条件の愛って、親にとって宝物。

でも、ちょっと待って。アドラーはここで大事なこと言うんだ。

親が子供に「私のこと愛してよ!」って押しつけるのは、子供の自由を奪う行為。親が「愛されなかった過去」を子供で埋めようとするのは、子供の課題にズカズカ踏み込むことなの。

私、ある事がきっかけで親を「ひとりの人間」として客観的に観察するようになった。そしたら、親もいろんな失敗や傷を抱えて生きてきた人だって気づいた。

親の人生の記憶

例えば、親が味わった寂しさや苦労に、私が縛られる必要ないよねって、強く思ったの。アドラーならこう言うはず。「過去は親の課題。今を生きるのは私の課題」。

これらの本を読んで一層、親の人生を背負うのではなくて、私は私の「今」を選ぼうって、心から思えた。これ、とってもスッキリした瞬間だったよ。

知り合いの親子見てると、親が「私のためにいい子でいて」って子供に期待しすぎて、子供が息苦しそうだった。アドラーなら、「親は子供の人生の脇役。主役は子供自身だ」って言うよね。親が自分を受け入れて、子供を自由にさせることが、ホントの愛だ。

コミュニティ:いろんな世界に飛び込もう

アドラーは、幸せの鍵は「共同体感覚」だって言う。家族や学校だけじゃなく、いろんなコミュニティに所属することで、自分も周りも輝く。

私、子供の頃、日本舞踊の稽古場でこれを感じた。いろんな年齢の人が集まって、礼儀やチームワークを学んだ。親戚が先生だったから、家の雰囲気にもその文化があって、視野がグッと広がった。

子供にとって、学校以外のコミュニティって超大事。スポーツクラブで仲間と汗流したり、地域のボランティアで「誰かの役に立つ」って実感したり。

伝統文化なら、茶道や日本舞踊で日本の心に触れられるし、歴史への愛も育つ。こんな経験、子供に「自分は社会の一部だ」って自信をくれるよね。

悲しみを手放す:執着、バイバイ!

アドラー心理学は、悲しみにも向き合うヒントをくれる。

悲しみとか苦しみ(サンスクリット語で「ドゥッカ」って言うらしい)は、執着や「こうあるべき」って思い込みからくる。

アドラーは、感情って「何か目的を果たすための道具」って考える。悲しみに浸るのって、実は「このままでいたい」って無意識の選択だったりする。

失恋でグズグズしてたら、「なんであの人は私のこと分かってくれなかったの?」って、ずーっと考えませんか?でも、アドラーの教えで、「ああ、これは『愛されなかった私』をキープしたいだけだ」って気づく。そして、起きたことをそのまま見て、「失ったもの、実は何もない」って気づく。

散歩で空見上げたり、ちっちゃなことから「今」を始めたら、なんか心が軽くなる。悲しみを受け入れるって、諦めるんじゃない。執着を手放して、「今を生きよう」って切り替えること。

アドラーなら、「過去や未来に引っ張られるな。今、この瞬間を生きろ」って言うよね。この言葉は悲しみのドン底で私の背中を押してくれた。

最後に:勇気を出して、今日を生きよう

「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」は、私に「自分を生きる」ってことを教えてくれた。

人の目を気にしない。過去を言い訳にしない。仲間や社会のために動くことで、自分も輝く。職場で意見言ったり、新しい友だち作ったり、日本舞踊でいろんな人とつながったり、悲しみを手放したり。全部、私を「人生の主役」にしてくれた瞬間だ。

特に、親を「ただの人間」として見たとき、とっても自由になれた。

親の人生の重さに縛られず、私の「今」を選ぶ。それが、アドラーの目的論をリアルに生きることだと思う。アドラーは言う。「幸せって、共同体の中で『自分は役に立つ』って感じること」。

私、今、小さなことからそれをやっている。あなたも、ちょっと勇気出して、今日を生きてみないですか?

人の目、過去の傷、ぜんぶ置いて、ありのままの自分で一歩踏み出す。そこには、自由と幸せがきっと待っているよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました